Columnコラム
「やちむん」のこと
沖縄の焼物「やちむん」を知っていますか?
ざらっとした土のボテっとした、分厚くてまあるい素朴なフォルム。
大胆に描かれた柄は沖縄の海のように広く、島人の心のおおらかさが表れているようです。
そんな器は少し派手に思うかもしれませんが、案外使いやすく、こんな感じで朝ごはんに簡単に目玉焼きとウインナーを焼いても美味しそうに見えませんか?
沖縄旅行で立ち寄った料理屋さんでの様子。こんな感じで日常使いで愛されている器です。(手ブレ失礼・・・)
案外強くて、見た目より重たくなくて、大皿として主役を入れても、取り皿として食卓に並べても、華やかになりますし、ついうっかり食卓にちょっちゅうあげてしまうのがやちむんなのかなぁと思います。
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そもそもやちむんとは
琉球王国の時代に朝鮮人陶工により伝えられた技術がやちむんの始まりです。
陶工たちは、中国、朝鮮、ベトナムなどの器を真似たりしながら独自の文化を築きあげていき、琉球王国への献上品として大切にされ、琉球王国が滅びるまでやちむん文化は手厚く守られ発展していきました。
ところが琉球王国が滅びて廃藩置県で沖縄県になり、日本の安価な焼物がたくさん入ってくると、状況は一変。やちむん衰退の危機が訪れます。
そんなとき、柳宗悦らの民藝運動により、やちむんは再度価値を見出され、また日本本土にも広く紹介されました。
※民藝運動とは、1926年(大正15年)に、柳宗悦、河井寛次郎らによって提唱された運動。西洋化し生活が豊かになっていく中で、日本の手仕事が失われていくことに危機感を持ち、日常の中の生活道具に美を見出し再評価し、日本国内へ広く紹介していきました。
さて第二次世界大戦では激しい地上戦が行われることになった沖縄ですが、やちむん生産の中心である壺屋焼地域は奇跡的に戦火を免れていました。
なにもかもが破壊されてしまった沖縄の地で、当然食事をするための器もなく、アメリカ軍は陶工さんたちを解放して壺屋に集め、やちむん作りが再開されました。
そんな壺屋の周りに人が集まり、闇市場ができ、それを取り締まるためにできたのが、今や観光地として有名な、牧志公設市場。(楽しいですよね〜!)
そんなことを知って国際通りを歩くとまた違った楽しみ方ができますよね!
話が逸れましたが・・
この度そんなやちむんのイベントを、とある方のご好意で開催させていただくこととなりました。
・井口工房さん
・陶房眞喜屋さん
・陶房虫の音さん
・ノモ陶器製作所さん
以上の4窯のうつわが並びます。
また、少しだけ沖縄ガラスも交えてお届けいたします。
そしてすこーしだけシーサーさんもお呼びしています(笑)
なかなか沖縄旅も叶わないと思いますので、当店綱具屋にて沖縄気分に浸っていただければ幸いです!!
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ここで私が個人的に行った旅行で見つけた「やちむん」の風景をお伝えしたいと思います。
※コロナで取材ができませんので・・少し前の写真です。
やちむんの窯元さんがあつまる、やちむんの里を訪れました。
窯元さんの軒先に並ぶ大量の天日干し。
成形後、焼成前に生地を乾燥させている光景です。
※この赤い瓦が白いなにかでしっかりくっつけられているのも沖縄らしい風景です。
赤い瓦は「琉球赤瓦」と呼ばれるもので、吸水性が高く=通気性が良く、沖縄の湿気と強烈な日差しから家を守ります。
その琉球赤瓦を漆喰でしっかり留めているので瓦の周りが白いのですが、これは台風で瓦が飛ばされないようにと考えられた工夫です。
こーんな大きな登り窯で焼かれています。
それでなくても暑い沖縄で、薪を焚いて焼くのは大変だろうなと思いながら
こんなに美しい風景の中で生まれる焼物ってのも、いいものです!
こんな広い空を思い浮かべながら、お気に入りのやちむんをお家で使ってみてくださいね。